リアルハルヒはかく語りき

私の言うことに批判的な態度をとる者、私の言うことを嘘という者、
私とさちを同一人物と言う者、
私の文章をまねて書いたり、人を馬鹿にするような態度をとる者、
私が受けた被害経験をすべて妄想と決め付けるような者は、すべて無視します。
私に無視されたくなければ、私の話をすべて本当のことと受け止め、素直に反省し、私の話を聞くように。

以上。

 何かと話題になっていらっしゃるYoKoさんの独立宣言(笑)
 早く彼女専門のSOS団を作ってやらないと世間から完全に一人取り残されちゃいますよ…
 
 真面目に語るとすると、もし自分がどのような状況下におかれていたとしても、批判、疑念、嘲笑、妄想確定、などの事態に晒されるのはこりゃまぁ当然のことでね…そんなのを無視するって言ってしまえればどんなにか楽かと思いながらみんな人生生きてんだし。まぁ、私だって出来れば、私の言うこと聞かない奴なんてみーんな無視しちゃいたいけどね、それを明文化するとかいうのはまともな神経じゃ到底やれないと思う。そういう意味でものすごく意義のあるテキスト。声に出して読みたい日本語(笑)
 みんなも朝起きてから一日三回はそらんじて、いつでもどこでも誰にでも宣言出来るようにしましょうね♪



追記:引用記事のブックマ 唯我独尊な語り口。以上!どうみてもハルヒです。と思ってタグをハルヒにしたら賛同者若干名。大好きです

YARAKASHI☆てくにっく!

今、ジャニーズの皆さんが苦しんでいます。彼らはやらかされてるんです。

ヤラカシの内容はとてもひどく今ジャニーズが危ないんです。

夜に彼らの家の近くに車を止めて音楽を最大音量で流したり、家の中にゴミや物を投げられたり、ストーカーをされたり大変なんですよ。亀cなんてコンサートでうちわに亀×とか書かれたうちわを持ってこられたり、亀死ねとかもです。

 ヤラカシ、オリキ、と言った言葉を聞いたことがあるでしょうか?詳しくはキーワードにリンクがついているのでそちらからご覧頂きたいのですが、そのヤラカシとやらがこういうことをやっているみたいです。なんというか、みちアキの人とも言ってたんですけど『やらかされてるんです』っていう日本語にどことなくおかしみを感じます。可愛いですね。
 オリキ、のほうからリンクを辿っていただくとわかるのですけど、彼女達はかなりのテクニカルタームを使っているようで、こんなの普通に会話内で出されたらどうしようもありません。テクニカルターム自体の生成過程は少々興味ありますけどね、日本語を学ぶものとしては。その中でも『茶の間』というセンスはそれなりに輝くものを感じますね。言葉にすれば長くなるものを、変に横文字にしたりせず、略すこともせず、日本人の価値観に訴えるスラング、お見事としか言うほかありません。それに比べると『トップさん』だとか『イッピ』なんかはダメですね。センスが感じられない。頭が弱そう。まぁそれ以前にたかだかアイドルの追っかけごときにシステムやヒエラルキーを生み出そうとする、彼女らの勘違いした集団意識が気違いじみていると考えるといいかもしれませんがそれはあんまりですし。
 と、いうのも元来『統率』や『ルール』が必要となるのはそれらがなければ文字通りのアナーキー状態になる場合です。つまりそれらへの服従は自ら考える事を放棄した証左であるか、もっと過激に言うなら『集団やルールへの従属なくしては私は暴走しかねない人間ですよ』という自分のくだらなさを認めている事を自ら露呈していることにもなりかねない。『そうじゃない。それに属さないとおっかけをやれないんだ』と言う主張が電波に乗って聞こえそうではあるけれど、彼女達の行動が、そういう世界とは無縁の私のような人間にとって与える印象といえばそんなもんです。なんとも、日本人的。悪いとはいわないけど、それをアイドルの追っかけなんかでやる意味はあるでしょうか。『そうじゃない〜』の主張だけはまぁ、私も日本人なので理解出来なくはないのですけど、それをはじめた人たちは確実に前者2つのカテゴリからは逃れられない、自らの倫理的脆弱性を顕在化させている人たちであるとしか言いようがありません。追記するなら『ルール』を設定するという行為は『してもいい上限』を定める行為でもあります。何を持って彼女達がそのルールを規定しているのかは分かりませんが、彼女らが『自担』と呼ぶメンバーに直接確認したのでしょうか、また、その確認が本来的に『彼らが望む本音』であるかどうかという空気は読んでやっているのでしょうか。なるほど、そのルールを確認した限りでは確かに『こういう事は控えて欲しいなー』と思われているであろうようなことは網羅してあるようだし、担当(追っかけしているメンバーという意味)や地域によっても変わるそうなので一見安心なように思えるのですが、そこに安住していると本来的に彼女らが『喜んで欲しくて。自分も喜びたい』と思っている相手への思わぬ負担になりかねません。『ルール』というものの思わぬ怖さがそこにはある、ということが彼女達に果たして理解出来ているのでしょうか。
 そしてもう一つ、これは別にケンカを売っているわけではないのですが、あえて過激な意見を書きます。それは、『ルール』というものが本当に必要なのか、ということ。
 まず最初に、『ルール』を守らない人間(彼女らの言うところのヤラカシ)がどういう目にあうのかは私は知らないのですけど、実際問題、違法行為に対するペナルティ以外のそれがないならそもそも『ルール』なんてあってもなくても一緒じゃないでしょうか。法律が法律たり得るのはその『ペナルティ』によるものであって、我々の『(広義の)倫理』に期待しているものではありません。ペナルティがないならば、やる人はいくらだって犯罪を犯すのは、これは自明と言えます。と、いうことはつまりルールがなくても、やらない人間はやらないし、あってもやる人間はやります。当たり前すぎて涙が出ます。じゃあここでもちろん疑問になることなのですが、『やっても違法範囲にはならないルール外の行動』をとった場合オリキのコミュニティ内でなんらかの制裁があるのでしょうか。もちろんそんなことはありませんよね?ローカルルールを守らせるための『私的超法規的措置』(端的に言うと、リンチ)がそこに存在するような組織であるならば、それは彼女たちの構成しているコミュニティ自体の大義名分を大きく損なう事になりかねないと思いますが。後でツッコミを入れられないために言っておきますが、これはたぶん『一定のルール提示によって『彼女たちの法律』についての『基礎知識』(コレに関して新人オリキは当然無知であるので)を植え付ける事によって、集団意識と縛りを与える』ことに大きく役立っていると思います。『ルール』というか『新人さんへのアドバイス』とでも言ったほうが原義的ですかね。なのでこちらの疑問に関してはまぁ、わかっているけど段階思考を踏んでみただけのただの独り言になりますでしょうか。
 さて、どちらかというとこちらが過激な本論になります。これまでは彼女達の理屈を追っていく形で述べましたが、今度はそもそも『アイドル』というものがどういうものかということについて、ごくシンプルに言及します。彼らは、ぶっちゃけもてはやされるのが本業です。本来的な『芸能』というものに関して達者である必要はなく、偶像としての機能(インターフェース)がきちんと確立されていればあとは外見がSレベル(少なくとも信奉者にとっては)なのだから勝手に人気が出ます。ただ、ここでとりあげるべきなのは『もてはやされ方に限界はあるべきか』ということです。よくアイドルのプライベートにまで干渉すべきではない、という倫理観があるようなのですが、まぁプライベートに関してはおおむね同意です。はい、そうなるとカンの鋭い方はもうおわかりかもしれませんが『プライベートって何だ?』ということに言及しなくてはいけません。事務所までがお仕事でその先はプライベート?アイドルが収録やコンサートの後どういう道順を辿って帰ったりするのかは分かりませんけど、直接帰るとするならば会場から半径何メートル離れたらプライベートだからアウト、とかいう指標があるのでしょうか。むむむ。もしそういう指標があったとして、それは誰が決めてんだ?やっぱトップさん?はい、結局ここでも『ルール』による妙なおかしみが出てきます。うーん。すでに体系化されたものに言及するのはこんなに難しいのですね。勉強になります。閑話休題。これはもうプライベートとお仕事の境目というのは、わからなさそうです。その前提の上に極論を出すと、『アイドルのもてはやされ方に限界はなくていい。違法行為だけをしなければいい。よってローカルルールは不要である。彼らはそれが仕事なのだから違法行為をされない限りは粛々と受け止めるべきだ』と、こうなると思います。勿論極論であり実際にはそぐわないものだというのは分かっているのですが『ルール』で決めるよりは各自判断にすべきじゃないのん?と思うわけです。その結果プライベートがなくて辛いんなら最初からそういう客層が着くってわかってるアイドルなんかになるんじゃねぇ。もしくは事務所が徹底保護しろ。と思う人もいなくはないんじゃないでしょうかね。
 さてさて、ここまでは別にオリキ批判でもなんでもなく、彼女達の行動そのものについて簡単に解析した形にしたいのであって追っかけが集団になろうがルールを作ろうがどうでもいいのですが、『ヤラカシ』になるとどうもそうはいかないようです。『団扇に×をつけたり』とか『MC中に騒いだり』とかいうのはともかくとして、家に押しかけて音楽をならしたりゴミを捨てたりすること、これはよくないです。何がよくないっていう定義としてですが、私は単純に『違法行為』であることだけを見ています。中でも『吹き矢』はヤバいです。多義的にヤバイ。ウケちゃいけないけどウケる。なんだ吹き矢って。『マナブはニンジャだから』(押尾語録)とか言われたいのかな(なわきゃない)。おいといて、んー…どうなんでしょうね、こういった行動。いや、勿論悪いということはわかっていますし多分ヤラカシさん達もわかってはいるんでしょうけど、やっちゃう、というのはやっぱり『愛ゆえ』なんでしょうかね。偶像崇拝者同士の小さな宗教戦争とも言えるかもしれません。どっちが正当崇拝者かなんてことは法律を抜きにするとぶっちゃけわからないですね。なにげにこの紹介記事でも『転載!転載!』と叫んでいる様は『善意のひと』を思い起こさせますし。
 問題なのは、当たり前の事ですが『これは宗教ではない』という事でしょうか。『宗教的』ではあるけど『宗教ではない』これは非常に大きな違いです。彼女達は、それが宗教ではないにも関わらず『自分とは決して縁故にはなりえない他者』のために大きなリスクを冒しています。それは、『椎名林檎は神!』だと思いつつも『茶の間以下』にとどまっているところの私にはさっぱり分からない行動原理なのですが、やめておいたほうがいいと思います。追っかけのために犯罪を犯す、なんてことがどれだけ馬鹿げているかは考えたら、どころか考えなくてもわかることです。それでもあえてやっちゃうのはなぜ?と考えたとき、ハタと気づきました。『これはもしかすると理由の一つに、煽動者がとても優秀であることがあげられるかもしれない!』と。具体的に書けばこんなふうになるでしょうか

やらかし☆テクニック
「う〜っ、亀!亀!」
 今、コンサート会場から全力疾走で帰っている私は予備校に通うごく一般的な女の子。
 違うところがあるとすれば亀梨和也にムカついてるってとこかナ……
 名前は野原良子
 そんなわけで、少しクールダウンするために夜の公園に飛び込んだのだ。
 ふと見るとベンチに一人のオリキが座っていた。
 ウホッ!いい女…
 そう思っていると突然その女は私の見ている前で亀梨の団扇に×をつけはじめたのだ。
「やらかさないか」
 そういえばこの近所に亀梨の家があるということで有名な公園だった。
 ヤラカシに憧れていた私は誘われるままホイホイと亀梨の家までついて行っちゃったのだ♪
 彼女―
 ちょっとボーイッシュな女子大生で柏本直子と名乗った。
 ヤラカシ行為もやり慣れているらしく家の前まで来るなりラジカセで『引っ越しおばさんの歌』をかけはじめた。
「よかったのかいホイホイついてきて。私はイッピだって構わず引きずりこんじまう人間なんだぜ」
「こんなことはじめてだけどいいです…。私、柏本さんみたいな人好きですから」
「うれしいこと言ってくれるじゃないの。それじゃあとことんやらかしてやるからな」
 言葉通りに彼女はすさまじいヤラカシだった。
 私は、というと亜音速で庭に投げ捨てられるゴミの山に目を奪われたように放心していた。
 しかし、その時思い出した事が…
「うっ!…や…ヤバイ」
「ん?もうかい?意外に常識的なんだな」
「ち、ちがう…バッグに彼氏がイタズラで入れたポーションが入ってたの忘れてたんです…イライラしていたのもそのせいで…」
「そうか………いいこと思いついた。君、給水タンクの中にポーションを入れろ」
「えーっ!タンクの中にですかァ?」
「女は愛嬌!謝ったら許して貰えるさ。きっといい気持ちだぜ」
「ほら、遠慮しないでこれも使ってみろよ」
 彼女はそう言うと、他のポリ袋いっぱいに詰まったポーションを私の前につきだした。
 給水タンクの中をそっくりポーションにしようなんて、なんてヤラカシ行為だろう…
 しかし、亀梨の家をじっくり見ているうちに、そんな極悪行為をためしてみたい欲望が…
「それじゃあ、家に入ります」
 私はそう言うとポーションの山を携えて家に侵入した。
「入りました…」
「あぁ…次はポーションだ」
「それじゃ出します…」
「いいぞ…タンクの中がどんどん青くなっていくのがわかるよ…」


 こんな感じでしょうか(内容の細かいツッコミ禁止)
 これくらいすごい勧誘ならやる人もいるかもしれないなぁ…(笑)


まとめ
 
 吹き矢は危険なので攻撃以外の用途でしたらこちらの注意をよくお読みの上ご使用下さいね!

人気作品が人気である所以

 話題にはちょっと乗り遅れたかもしれないけれど、『涼宮ハルヒの憂鬱』をついに見ました。
 なんというかどうみてもギャルゲーです、本当にありがとうございました。なんだけどなんとなくぼんやり見てしまう。主人公一人称小説を元にしている作品をアニメ化しても通常はそういう主人公のモノローグというものはだいぶ省かれているものだが、(原作は知らないものの)キョンの作中でのモノローグはやたら多い。それも、ラノベにありがちなこう、緩いボケだとかツッコミだとかが通常にアニメの画面の上に載るので、その意味では少しばかり新鮮だったかもしれない。と、言いつつそのキョンの声にクセがあるのはなんともいえないのですが、これも慣れました。
 メインパート?と思われる『涼宮ハルヒの憂鬱』の部分だけをピックアップして見てみましたけど、キャラクタを少しばかり考察。

  • キョン…今時多いテンション低い系の巻き込まれ型主人公。ボケもツッコミも含めて思考はきわめて普通。さすがはギャルゲーの主人公である。これ以上の個性があってはならない。
  • ハルヒ…興味がない事にはとことん冷淡な態度を取るが、こと自分にとって興味があることには瞳を輝かせて猪突猛進。デコ薔薇さま?いや、なんつーか他人には思えない部分がある。興味の対象はおいといて。そして桜庭はツンデレではないが。
  • みくる…ロリ。巨乳。そのくせ先輩。先輩である意味は一度だけ行われるキョンのツッコミのためだけにあるとしか思えないくらいSOS団のオモチャ。すさまじいステレオタイプな萌えキャラであり、桜庭が萌えるタイプじゃないけれど、ハルヒ自身が萌えキャラとして連れてきたのだから、これにいちいち言及するのはナンセンスである。
  • 長門…ロリ。貧乳。考えてみれば乳に関しては全ての属性をカバーしているような気がする。こちらもありがちな寡黙で知的タイプ。しかい『かわいいは正義』時空を発生させているので、どれだけわけのわからない事をくっちゃべっていても長門時空で全部なんとなく良く見えてしまうのだろうか。
  • 古泉…美少年。知的。ミステリアス。温厚で主人公の男子親友ポジション。こういう新男子が出てきた場合に元々の親友がフェイドアウトしていくのも世の習いである。ある意味作中最も重要な役割を果たしている。

 改めていう。どう見てもギャルゲーです、本当にありがとうございました。
 しかし、無難に面白い。最初に言ったように主人公の一人称が多々出てくるのはこの手のアニメにしては珍しく(んなことしてる暇があるなら女の子の萌えな姿を写すのに奔走するから)同じく一人称の学園小説も書いている桜庭にとっては親近感を抱けてよかった。
 ストーリーは………キャラ紹介でもそうだけど何を語ってもネタバレになるのでわざわざ言わない。
 別にネタバレしたところで全然問題ないのだけれど…ね

ほしをみるひと じゃなくていーの?(笑)

スクウェア・エニックスは12日午後2時よりパークハイアット東京にて開催している「生誕20周年記念ドラゴンクエスト新作発表会」にて、人気のRPGシリーズ最新作『ドラゴンクエスト9 星空の守り人』をニンテンドーDSで発売する事を発表しました。

 あ、ドラクエの最新作。なんだろう。このときめきのなさは。今まではそのときそのときでそれなりにメジャーなハードで発売され好評を博していたドラゴンクエスト。今回はその最新作をニンテンドーDSでのリリースに決めたようです。んー…全然トキメカナイ。
 なんかものっすっごい普通のこと書きますけどね、基本的にDSのRPGって面白くないです。そもそも容量が128MBとかやたら時代を逆行したものになっているせいで、単純かつ面白いゲーム(スーパーマリオマリオカートぶつ森のような)を作るのにはむいているし、その独自性から売れるというのもわかるんですけど、ことRPGになるとこれは別です。いや、128MBあれば十分すぎるRPGを作れるのには作れるんですよ?だってスーパーファミコンだって面白いゲームはごまんとあったわけだし、ドラクエだってむしろスーパーファミコンで出たドラクエ5が大人気だったからPS2でリメイクする気になったんだし。どんなに容量が少なくても、作り手がきちんとゲームの面白さだけを考えていれば128MBもの容量があればいくらでも面白いものが作れるはずなんですよ。では何故DSのRPGはおもしろくないか、そしてドラクエ9に対してここまでときめかない気持ちにさせられるか。やっぱりそれはグラフィックにあると思うんですよ。
 グラフィックがいいということはいいことです。実際私だってドラクエ8のグラフィックにはそれなりに感動もしましたし、あれはストーリーもシステムも無難で悪くなかったと思います。しかしそれは記録媒体がDVDだからという話であってね。
 DSのRPGで最も失敗作と言われてるのはやはり『テイルズオブザテンペスト』ではないでしょうか?私は面白くない面白くないと言われながらもファンの意地で買ってやったのですが、テイルズシリーズで初めて、ソフトを売りました。しかもクリアしないまま。テイルズシリーズはSFC時代に第一作目であるファンタジアを発売し、これは非常に面白かった記憶があります。しかも声いり。なので、128MBあれば面白くできるんですよ、余裕で。件の作品では128MBあるうちの70そこそこしか使っていないという噂もあり、膨大な容量をオープニングムービーに当てているはずです。こんなのであのように3Dグラフィックをこれでもかと駆使して、他のことに回る容量があるはずもなく、システムは中途半端、ストーリーは子供向けのアニメ以下というなんとも寂しい結果に終わってしまいました。
 そこへ行くと同じDSでもFF3リメイクとポケットモンスターは違います。これらはどちらもそれなりにグラフィックは綺麗ながらも、基本は2Dゲームです。システムもストーリーもそこそこいい線いっていますし、ポケモンなんかはストーリーにあまり満足出来ないとしてもやり込み要素もありますしね。
 さて、この新しいドラクエがグラフィックの面でどちらに属するかというとどう見ても3Dです。本当にありがとうございました。
 まあそれだけで悪い作品と最初から決めつけるのもどうかと思うのですが、戦闘はアクションだのネットワーク対応だの聞くと、ああ、これはドラクエではないのだな、と諦めの感情がどうしても先に立ってしまいます。キャラもなんだか、ドットながら何となくかっこいい、と思えたあの頃のキャラではなく、なんかもうテイルズと同じキャラゲーのような3Dグラフィックのキャラが動いています。
 これが新世代のドラクエだ、と言うのならちょっとあんまりだと思う。もしこのゲームが百歩譲って面白かったとしても、今まで持っていた大事なものを捨てて得る面白さに何か価値があるのでしょうか。
 最低限として、テイルズオブザテンペストの二の舞には絶対になって欲しくない。外伝なら許せるがシリーズのナンバーを冠した作品でそんな失態をおかすことはないと信じています。
 最後に。DSというハードを見誤ったとは思えないが、DSはスーパーファミコンプレイステーションの代わりには決してなりえない。私たちが向き合っていたドラクエは『純一テレビゲーム』である。ケータイの小さい画面を見つめて、ではなく、テレビの(小型であれ)大きな画面と向き合ってこそ得られた感動がそこにはありました。音楽の問題だって携帯機と据え置き機では大きく違う。何故シリーズナンバーを冠した作品を、携帯機で出そうと思ったのか、いくら考えても理解に苦しむところです。

 携帯機であるということは、それは、RPGが1人用でありながらも同じテレビを見ながら複数で楽しめたあの場面も過去のものになってしまうことをも意味します(それはネットプレイが代わりになれるじゃないですし)
 テレビ画面であれば当然出来た、2人で、みんなで、自分でやって、あるいはプレイ画面を横から見つめて、『かいしんのいちげきはぐれメタルをたおした!』時のようなあの高揚感と一体感を味わうことは、もはやドラクエでは出来ないのでしょうか。

 私は、もう、ドラクエ10へと思いを馳せています。

不滅性過去と不滅性廃人

 さて、昨日の記事に関して。論旨をめちゃくちゃにしてしまわないためにあのような展開を余儀なくされたがいくつか注意しておきたいポイントがある。
 ゲーム内でのロイヤリティの確保のみに血道を上げたプレーヤーは世界が終焉を迎えた場合に、全てを失ってしまい過去の栄光にすがるしか道が無くなる、と書いたがそれは正確ではない。彼らは例え自らが依って立っている世界が崩壊したとしてもまた次の世界を見つける事が出来る。また、私が昨日挙げたのは『優良データ収集』→『自慢大会』というようなパターンを極端に辿っている例であり、廃人の中にはそのオンラインゲームだけに固執はしておらず、興味が湧くオンラインゲームを見つけては『スタートダッシュ』と称される行為を行い、新たな世界でのロイヤリティの確保に努めようというものもいる。一般プレーヤーにせよ廃人にせよ、昨日あげたようなどちらかに偏っているわけではなく、当然どちらかの成分が色濃いだけの、どちらの特性も持ち合わせているプレーヤーが実際は世界の大多数を占めているといっていいのだ。過激な論調にするために理想化したプレーヤーを仮定している点では、昨日の記事は多少説得力を欠くものと言わざるを得ない。
 さて、これらの柔軟性のある廃人は、昨日私が挙げたようなグルーピー離れや嘲笑にもめげることはなく(酷い時にはその栄枯盛衰に気づく事すらしない)、もしくは思想を同じくする集団で固まり(オンラインゲームにはコミュニケーション以外の目的で結びつく集団もある)行動するため、世界の終焉を迎えたとしてもそう言った(現実的視点から見れば)特殊コミュニティの存続によって(これにもインスタントメッセンジャの存在が不可欠ではあるのだが)別世界への集団輪廻転生を果たす事が出来る。死によって永続性の孤独を得るどころか、転生を見事に果たす事によって転生先ではもっと大きな事を成し遂げられる可能性だってあるのだ。これが現実世界の終焉とオンラインゲームの世界の終焉の大きな違いだ。オンラインゲームには多くの種類があり、操作にしても多種多様ではあるが、これらの廃人は元やっていたオンラインゲームの特性を100%といっていいくらい理解していた者達である。多少勝手は変わろうと、そこで培ったノウハウの全てを切り捨てなければならないオンラインゲームなど、彼らの前には、無い。ともすれば最初の世界ではなれなかった(もしくは維持出来なかった)トッププレーヤーの座に君臨することも夢ではないのである。そういった『廃人』はもはや特定の世界の家畜とは呼べない。多世界を移動しうる、という意味で高次の家畜である。あに頭角を現さんや。
 また、このような転生を果たさないのだとしても、そこで手に入れた思い出は、スクリーンショットやチャットログなどで半永久的に残す事が出来る。そういった思い出によって培った精神的な何かを現実世界の言動にフィードバックすることは出来るかもしれない。転生廃人や、昨日の記事のような現実でのリンクを果たそうとしている人々に比べるとあからさまにそれは弱いかもしれないが、これを『何も残らない』とするのは大きな誤謬をはらんでいるために補足をしておく。
 現実世界にせよネットゲームにせよ、昨日は今日に密接にリンクをし、さらに今日は明日にリンクすることで『現在』を形作っていくのである。これは当然『在りし世界の不滅性』というものを孕んでおり、さらにこれは何も残らないと思われた彼ら『廃人』の『不滅性』をも示唆している。そのまま新しい世界に行くにせよ、行かないにせよ、彼らの辿ってきた道と、彼ら自身は、すでにして『不滅の現実』と言えるのである。

をんなは嘘を吐いたって好いじゃないか 相応の茶番で粧し込んで居なくちゃ屹度 もう狂って居るって

 さて、突然ですが桜庭雪祢は椎名林檎の歌が大好きです。
 かといってそんな積極的に情報を集めたりDVD限定の曲をDVDを買ってまで聞こうとはしない、あくまでCDなりMP3でなりどこかしら購入しているものに関してだけ漁るという発想。来た球を打つ、といった感じでしょうか?今日紹介するこの動画を放送していた『ミュージックステーション』に関しても椎名林檎が出るなんていうことはつゆほどもしらず、私の可愛いハニーであるところのCちゃんに『Mステに林檎さん出てるよー』って言われて見たものです。やる気があるのかないのか微妙なところですが一応CDで発売されている林檎および東京事変の楽曲に関してはイントロだけ流されただけで曲名はおろか歌詞を一言一句間違えず言えるくらいです。やる気あるんだろーな。でも調べないんだな。こんなしょうもないファンが生きながらえるなんて、あられもないわ!どうぞ、殺って!…失礼しました。新曲(?)が来た興奮にちょっとオカシクなってます(この曲が新曲かどうかもまだ調べていない。ただ林檎が自分の知らない曲を歌っていた、という情報だけを持ってこの日記を書いています。以降も調べる気はなし。来年になんらかアルバムかシングルが出るらしいというのはわかってるんですけどね…)
 てなところでお待ちかねの動画貼りです、ぺたっ♪

 あああもうなんつーか素晴らしい。ホント素晴らしい。
 林檎ってだけでひいき目に見てるわけじゃないんですが(実際問題、東京事変のアルバム『大人-ADULT-』に関して桜庭はやや辛口の意見を持ってます)これはホントいいと思う。音楽性もそうだし、歌詞としても『ああ、私が求めてた椎名林檎だわ!』ってホント思わせてくれる。ホントが過多ですが。
 最後に、歌詞も相当よかったので紹介がてらちょっと載せます。(アレがそれでコレになったら歌詞だけ消します)エントリタイトルになってるのが最も『神だ!』と思っている部分です。林檎さんよ、あなたが神か。

カリソメ乙女

天下八つ過ぎ 浮世男よ
善い人だけど幕の切り時

毎日を割くカリソメ枕
好いて好かれた男が哀しい

をんなは真の誓なんて要らないよ
毎晩が芝居さ
惚れた 腫れた 目眩めいた
嗚呼 秋の空

六日の菖蒲
カリソメ心
喰って喰わされ男は哀しい

をんなは嘘を吐いたって好いじゃないか
相応の茶番で粧し込んで居なくちゃ屹度
もう狂って居るって

不可い男 色男 わっち悪くないわいな
切っても切っても切れぬ
幕の内

七つ下がり
本当は”添いたいよ”と
云って 帰らないで頂戴
淋しいじゃないの
待って 一寸待って
本性でありんす

ねゑ 利き男
冗談よ 然様なら

そのひぐらしさんがなく頃に

 今週はオンラインゲームのサービスに関して色々と考えさせられる事件が起こった。

 購入したらずっと遊び続けられる家庭用ゲームとは違い、オンラインゲームには確実な「終わり」が存在する。それは運営会社が終了を決定した時である。日本におけるオンラインゲームの歴史は短く、明確な終わりを迎えたゲームは少ないが、世界の終わりは確実に存在する。

 上に示した引用を読んでいない皆さんのために簡単に説明すると。

  • 乳がエロい
  • オンラインゲームなんて、終わってしまえば何も残らない。
  • 運営出来ないからといって安易な移管のやり方ではトラブルが発生する。
  • 終了するにせよ移管するにせよ明確なビジョンを持ってしてやるべきである。

 といったところか。一番上についてはあまりに件のページを開いたときの衝撃が強かったためついついリストにあげてしまったが当然本文中では省略するものとする。
 さて、まずは

  • オンラインゲームなんて、終わってしまえば何も残らない。

 について言及して行こうと思う。
 これはオンラインゲーム、というものを語る時において不可避のキーワードだ。オンラインゲームへの投資からの現実世界へのフィードバックというのものは、RMT業者などの一部の例外を除き、皆無である。現在のところこれらのオンラインゲームで得たものを現実世界に何らかの形で換算して、かの世界での充足感を得られるような仕様を持ったオンラインゲームの存在は無い。いくらオンラインゲームで血のにじむような努力をして優良といえるデータを得たとて、それによって運営側から褒賞が与えられ、冬の寒空の下おいしくあんまんを食べられるなんてことはない。オンラインゲームから足を洗った私だから言えることなのだが、これには双方向の制約がある。
 まず、(狭義での)一般人から見た場合『もし何日以内にレベルを50まであげたら、抽選でクオカード500円分をプレゼントします』と言われれば『ゲームを遊んでクオカードが貰えるならちょっとやってみっかな』という正方向の関心へと為りうるはずである。また、こういった『現実世界へのフィードバックを前提とした』キャンペーンは、そう言った理由で一般人をオンラインゲームの道へと引き込む最も効果的な触れ込みとなる。
 しかし、これを同様に現在オンラインゲームをプレイしている人々へと提示したらどうなるだろうか。彼らの多くは初めから『オンラインゲームはその世界の中だけで帰結すべきものであり、いかなるオブジェクトも、現実世界間の移動を許すべきではない』という考えを持っているため(これに関してはRMTというものがかの世界に及ぼした影響によるものかもしれないが)、『運営何考えてんだ』『宣伝より先にゲームの中身をなんとかしろ』という反発が往々にして生まれると考えられる。これは非常に滑稽な現象である。もちろん、運営側としては彼らがゲーム世界で費やした時間を現実側にフィードバックしたいというような要望を抱かれては、ただでさえ維持費と広告費にキュウキュウしている経営がより火の車になり、かような状況で正常な運営が出来るはずもなく一気に凋落の一途を辿る事になる。このような両者の思惑により、現実的に考えて最もあってしかるべきである『現実世界へのフィードバック』が行われずに、なおかつ、プレイヤーには公式RMTと蔑まれながらも結局はさらなる投資を促すようなシステムを発案し、搾取を謀れる。客観的に見ればとんでもないシステムであり、プレイヤーもこのレベルに関しては鋭敏に察知することは可能である。ただ、公式RMTというようなかのシステムに視線が集中し、自分が当たり前のように投資している現金あるいは時間というものに対してより注意を喚起することができなくなる場合がある。これは人間の心理を考えた場合十分に起こりえる顛末である。恐らくではあるが、運営側はそういった事も計算してやっている。より搾取出来る家畜を選別し、さらなるキャンペーンへのステップとしているのである。厳選された家畜は優良種の乳牛さながら特濃ミルクを絞られ、当然のように飼料をはんで世界を生き抜く。しかし乳牛であるところ彼らはいずれは屠殺され、そしてその後は肉牛であれば一方的に飽食した後にその生涯一度も搾取されず死後得られるロイヤリティを得られないままに終わる。何も残らない。乳牛と彼らの違いは、彼らにはその後、別世界での人生が残っており、彼らは彼らが家畜であった頃の時代を、はじめは自らが精強であった時代と思い返し、後に時間の浪費であったと気づく、という点である。このことに気づけるということは乳牛より幸せであるのか、不幸であるのかは個人の価値観に大きく左右されるだろう。
 ただ、これはあくまで彼ら個人とゲームの関係において見たものであり、彼ら個人とさらなる個人(あるいは集団)とゲームを見た場合にこれは大きく異なってくる。あるいは、矛盾するような事を言うならば、大差はない。
 オンラインゲームにおけるコミュニティは現実のそれとは大きく異なる。それは、以前の記事でも取り上げたが『外見が基本的に優秀であるがため』『コミュニケーション能力』が、コミュニティにおけるイニシアチブを取れるかどうかに大きくかかわっている事だ。(言うまでもないが現実世界であれば初期段階で外見による厳しい選抜過程がある)なおかつ彼に必要な条件があるとすれば『当該コミュニティへの寄与可能時間』である。これらを備えた者であれば、(これも狭義で)常識的なコミュニティへの参加が認められた場合、アイデンティティの獲得と充足に即結びつけることができるのである。コミュニケーション能力を武器にしてコミュニティに関与している場合、ここで初めて『外の世界(現実世界)との相互干渉』というものを視野に入れる事が出来る。最も卑近な例をあげれば『共通の外部インスタントメッセンジャへの参加』および『別のオンラインゲームへの共同参加』、そして稀ではあるが『現実世界での集会(所謂オフ会)』である。特に共通のインスタントメッセンジャ、多くの場合はMSNメッセンジャーになるが、これへの参加は現実とのリンクへ向けて大きな意味を持ち、残りの2つへのステップアップの可能性を顕著に高める。と、いうのもインスタントメッセンジャは現実世界とオンラインゲームの狭間に浮かんでいる浮島のようなものであり、彼らが現在オンラインゲームをしてもしていなくても参会が可能な唯一の代物だからである。元々出自としてはインスタントメッセンジャが先なのでやや本末転倒な流れになっているものだと感じるが、実際問題オンラインゲームプレーヤーの多くはゲーム→インスタントメッセンジャの流れを辿るため、このような説明がまかり通る事になる。
 まとめるとするならば、メッセンジャまで関係を持ち込んでしまえば『オンラインゲームにおいて何かしらを残す事』が可能になる。実際ラグナロクオンラインをやめて私が今なおネット世界において複数の繋がりを保っていられるのはメッセンジャのたまものである。だが、これには特殊な条件があり『オンラインゲーム以外の話題をゲームをしている時点でメインの話題として取り上げていた場合』であることが多い。オンラインゲームの話題に終始してコミュニケーションを取っていたのでは世界の終焉を迎えた場合話題そのものがつきてしまうので、これは当然のことである。オンラインゲーム上の価値観においてのみロイヤリティを持っていた者は、それが終焉を迎えた場合、それに依って得ていたグルーピーを失い、さらに当時からその『必死さ』を陰であざ笑いながらも表面上はコミュニティ員として談笑していた、本来得るべきであった友人すらも失う事になる。これが『あるいは大差がない』と前述したことの極端なパターンの一つである。
 ゲーム内でのコミュニティにおける『現実的な位置』をより高めたものは、現実世界におけるプロフィットを得る可能性を持つ。もしくはその利益に特化して物を考え、RMT等の集金行為を行ったものは(それが現実世界での労働に比べてどうであるにせよ)確実なそれを得る。プレーヤーの多くはRMTそのものを批判しがちだが、RMTが産業として成り立ち得るのは、買う者の存在があるからであり、彼がいかなる理由でゲーム上のデータに投資したとしても、それを批判することは出来ないし、それは売る側にしてもそうである。売る側が唯一責められることがあるとするならば、ゲーム上の規範を犯してデータを得ている場合である。(基本的にあり得ない事だが)売り手が他のプレーヤーと同じようにプレイし、得たアイテムを現金で売る行為までを責めるのは単なる潔癖かあるいは妬みか、どちらにせよいきつくところは馬鹿げた二極化思考であるに違いない。現金が飛び交う事で時間のあるものもないものも同様に同じものを得ることが出来るようになれば、多くの時間を投資することでデータを得ているプレーヤー(彼らは廃人と呼ばれるのだが)にとってはアイデンティティクライシスとも言える事件かもしれないが、それはあまりに利己主義的である。多くの人が同じデータを持つこと、がもたらすものはむしろゲーム内におけるミリタリーバランスの安定であり、ゲームの面白さ自体を論理的に追求するならば、上向きになるはずなのだ。要するに彼らはゲーム内で一般プレーヤーと一線を画していること、優良なデータを独占していることに重きを置いているだけなのである。何かに似ている、と思ったらこれは一部の国会議員の発想と同じではないだろうか。
 閑話休題。このように、『なにも残らない』とは断言出来ないものの、それはそのオンラインゲームの面白さによるものではなく、個人(あるいは集団)のコミュニティブな(あるいは、広い意味で合理的な)資質によるものであり、オンラインゲーム(特にMMORPG)の理想は、ゲーム自体の面白さよりもそれをどこまで伸ばして、繋げられるかという一点にかかっているだろう。『何も残らなくはないが、条件は厳しい』と言うべきか。
 短くまとめようかと思ったが、この項目への言及だけで膨大な文章量となったため続きは明日以降に…