そのひぐらしさんがなく頃に

 今週はオンラインゲームのサービスに関して色々と考えさせられる事件が起こった。

 購入したらずっと遊び続けられる家庭用ゲームとは違い、オンラインゲームには確実な「終わり」が存在する。それは運営会社が終了を決定した時である。日本におけるオンラインゲームの歴史は短く、明確な終わりを迎えたゲームは少ないが、世界の終わりは確実に存在する。

 上に示した引用を読んでいない皆さんのために簡単に説明すると。

  • 乳がエロい
  • オンラインゲームなんて、終わってしまえば何も残らない。
  • 運営出来ないからといって安易な移管のやり方ではトラブルが発生する。
  • 終了するにせよ移管するにせよ明確なビジョンを持ってしてやるべきである。

 といったところか。一番上についてはあまりに件のページを開いたときの衝撃が強かったためついついリストにあげてしまったが当然本文中では省略するものとする。
 さて、まずは

  • オンラインゲームなんて、終わってしまえば何も残らない。

 について言及して行こうと思う。
 これはオンラインゲーム、というものを語る時において不可避のキーワードだ。オンラインゲームへの投資からの現実世界へのフィードバックというのものは、RMT業者などの一部の例外を除き、皆無である。現在のところこれらのオンラインゲームで得たものを現実世界に何らかの形で換算して、かの世界での充足感を得られるような仕様を持ったオンラインゲームの存在は無い。いくらオンラインゲームで血のにじむような努力をして優良といえるデータを得たとて、それによって運営側から褒賞が与えられ、冬の寒空の下おいしくあんまんを食べられるなんてことはない。オンラインゲームから足を洗った私だから言えることなのだが、これには双方向の制約がある。
 まず、(狭義での)一般人から見た場合『もし何日以内にレベルを50まであげたら、抽選でクオカード500円分をプレゼントします』と言われれば『ゲームを遊んでクオカードが貰えるならちょっとやってみっかな』という正方向の関心へと為りうるはずである。また、こういった『現実世界へのフィードバックを前提とした』キャンペーンは、そう言った理由で一般人をオンラインゲームの道へと引き込む最も効果的な触れ込みとなる。
 しかし、これを同様に現在オンラインゲームをプレイしている人々へと提示したらどうなるだろうか。彼らの多くは初めから『オンラインゲームはその世界の中だけで帰結すべきものであり、いかなるオブジェクトも、現実世界間の移動を許すべきではない』という考えを持っているため(これに関してはRMTというものがかの世界に及ぼした影響によるものかもしれないが)、『運営何考えてんだ』『宣伝より先にゲームの中身をなんとかしろ』という反発が往々にして生まれると考えられる。これは非常に滑稽な現象である。もちろん、運営側としては彼らがゲーム世界で費やした時間を現実側にフィードバックしたいというような要望を抱かれては、ただでさえ維持費と広告費にキュウキュウしている経営がより火の車になり、かような状況で正常な運営が出来るはずもなく一気に凋落の一途を辿る事になる。このような両者の思惑により、現実的に考えて最もあってしかるべきである『現実世界へのフィードバック』が行われずに、なおかつ、プレイヤーには公式RMTと蔑まれながらも結局はさらなる投資を促すようなシステムを発案し、搾取を謀れる。客観的に見ればとんでもないシステムであり、プレイヤーもこのレベルに関しては鋭敏に察知することは可能である。ただ、公式RMTというようなかのシステムに視線が集中し、自分が当たり前のように投資している現金あるいは時間というものに対してより注意を喚起することができなくなる場合がある。これは人間の心理を考えた場合十分に起こりえる顛末である。恐らくではあるが、運営側はそういった事も計算してやっている。より搾取出来る家畜を選別し、さらなるキャンペーンへのステップとしているのである。厳選された家畜は優良種の乳牛さながら特濃ミルクを絞られ、当然のように飼料をはんで世界を生き抜く。しかし乳牛であるところ彼らはいずれは屠殺され、そしてその後は肉牛であれば一方的に飽食した後にその生涯一度も搾取されず死後得られるロイヤリティを得られないままに終わる。何も残らない。乳牛と彼らの違いは、彼らにはその後、別世界での人生が残っており、彼らは彼らが家畜であった頃の時代を、はじめは自らが精強であった時代と思い返し、後に時間の浪費であったと気づく、という点である。このことに気づけるということは乳牛より幸せであるのか、不幸であるのかは個人の価値観に大きく左右されるだろう。
 ただ、これはあくまで彼ら個人とゲームの関係において見たものであり、彼ら個人とさらなる個人(あるいは集団)とゲームを見た場合にこれは大きく異なってくる。あるいは、矛盾するような事を言うならば、大差はない。
 オンラインゲームにおけるコミュニティは現実のそれとは大きく異なる。それは、以前の記事でも取り上げたが『外見が基本的に優秀であるがため』『コミュニケーション能力』が、コミュニティにおけるイニシアチブを取れるかどうかに大きくかかわっている事だ。(言うまでもないが現実世界であれば初期段階で外見による厳しい選抜過程がある)なおかつ彼に必要な条件があるとすれば『当該コミュニティへの寄与可能時間』である。これらを備えた者であれば、(これも狭義で)常識的なコミュニティへの参加が認められた場合、アイデンティティの獲得と充足に即結びつけることができるのである。コミュニケーション能力を武器にしてコミュニティに関与している場合、ここで初めて『外の世界(現実世界)との相互干渉』というものを視野に入れる事が出来る。最も卑近な例をあげれば『共通の外部インスタントメッセンジャへの参加』および『別のオンラインゲームへの共同参加』、そして稀ではあるが『現実世界での集会(所謂オフ会)』である。特に共通のインスタントメッセンジャ、多くの場合はMSNメッセンジャーになるが、これへの参加は現実とのリンクへ向けて大きな意味を持ち、残りの2つへのステップアップの可能性を顕著に高める。と、いうのもインスタントメッセンジャは現実世界とオンラインゲームの狭間に浮かんでいる浮島のようなものであり、彼らが現在オンラインゲームをしてもしていなくても参会が可能な唯一の代物だからである。元々出自としてはインスタントメッセンジャが先なのでやや本末転倒な流れになっているものだと感じるが、実際問題オンラインゲームプレーヤーの多くはゲーム→インスタントメッセンジャの流れを辿るため、このような説明がまかり通る事になる。
 まとめるとするならば、メッセンジャまで関係を持ち込んでしまえば『オンラインゲームにおいて何かしらを残す事』が可能になる。実際ラグナロクオンラインをやめて私が今なおネット世界において複数の繋がりを保っていられるのはメッセンジャのたまものである。だが、これには特殊な条件があり『オンラインゲーム以外の話題をゲームをしている時点でメインの話題として取り上げていた場合』であることが多い。オンラインゲームの話題に終始してコミュニケーションを取っていたのでは世界の終焉を迎えた場合話題そのものがつきてしまうので、これは当然のことである。オンラインゲーム上の価値観においてのみロイヤリティを持っていた者は、それが終焉を迎えた場合、それに依って得ていたグルーピーを失い、さらに当時からその『必死さ』を陰であざ笑いながらも表面上はコミュニティ員として談笑していた、本来得るべきであった友人すらも失う事になる。これが『あるいは大差がない』と前述したことの極端なパターンの一つである。
 ゲーム内でのコミュニティにおける『現実的な位置』をより高めたものは、現実世界におけるプロフィットを得る可能性を持つ。もしくはその利益に特化して物を考え、RMT等の集金行為を行ったものは(それが現実世界での労働に比べてどうであるにせよ)確実なそれを得る。プレーヤーの多くはRMTそのものを批判しがちだが、RMTが産業として成り立ち得るのは、買う者の存在があるからであり、彼がいかなる理由でゲーム上のデータに投資したとしても、それを批判することは出来ないし、それは売る側にしてもそうである。売る側が唯一責められることがあるとするならば、ゲーム上の規範を犯してデータを得ている場合である。(基本的にあり得ない事だが)売り手が他のプレーヤーと同じようにプレイし、得たアイテムを現金で売る行為までを責めるのは単なる潔癖かあるいは妬みか、どちらにせよいきつくところは馬鹿げた二極化思考であるに違いない。現金が飛び交う事で時間のあるものもないものも同様に同じものを得ることが出来るようになれば、多くの時間を投資することでデータを得ているプレーヤー(彼らは廃人と呼ばれるのだが)にとってはアイデンティティクライシスとも言える事件かもしれないが、それはあまりに利己主義的である。多くの人が同じデータを持つこと、がもたらすものはむしろゲーム内におけるミリタリーバランスの安定であり、ゲームの面白さ自体を論理的に追求するならば、上向きになるはずなのだ。要するに彼らはゲーム内で一般プレーヤーと一線を画していること、優良なデータを独占していることに重きを置いているだけなのである。何かに似ている、と思ったらこれは一部の国会議員の発想と同じではないだろうか。
 閑話休題。このように、『なにも残らない』とは断言出来ないものの、それはそのオンラインゲームの面白さによるものではなく、個人(あるいは集団)のコミュニティブな(あるいは、広い意味で合理的な)資質によるものであり、オンラインゲーム(特にMMORPG)の理想は、ゲーム自体の面白さよりもそれをどこまで伸ばして、繋げられるかという一点にかかっているだろう。『何も残らなくはないが、条件は厳しい』と言うべきか。
 短くまとめようかと思ったが、この項目への言及だけで膨大な文章量となったため続きは明日以降に…